楠木坂コーヒーハウス>書庫>【書評・感想】2003年12月

2003年
1月
[U][や]
2月
[U][や]
3月
[U][や]
4月
[U][や]
5月
[U][や]
6月
[U][や]
7月
[U][や]
8月
[U][や]
9月
[U][や]
10月
[U][や]
11月
[U][や]
12月
[U][や]

2003年12月


『ワット』 サミュエル・ベケット 白水社
 ベケットの小説。主人公ワットはノット氏の屋敷で働くことになる。最初は屋敷の1階で、そして新任者がやってくると2階で。ワットが2階に移ると、それまで2階で働いていた召使は出て行く。ワットが来る前もこのようにして召使は交代してきたし、ワットが出て行ったあともこの慣習は続くであろう。『ゴドーを待ちながら』のベケットらしく、ワットがノット氏の屋敷で働くことになった理由は語られないし、ノット氏自身もいったいどんな人物なのか、性格のみならずその容貌すら不明確である。
 二人目の新任者がやってきて、ワットがついに屋敷を去る日がやってくるが、そのあとワットは精神病院に入院。さらにこの本は病院で知り合った同じ精神病患者サムによって書かれていたことが分かり、いよいよこのテキストの異常性はワットの異常性なのか、それを聞き写したサムの異常性なのか、それとも作者のベケット自身の異常性なのか分からなくなってしまう。
 この本は本当に危険だと思う。それは翻訳の高橋康也氏も書いているように、比喩的な狂気ではない、正真正銘の精神分裂病の兆候が見て取れるからである。「彼にとって、世界は一連の論理的可能性の系列に他ならない」、すなわち「病的幾何学主義」とか「病的合理主義」と言われているけど、ここまでひどくないにせよ、僕もこういうものの考え方をする所があるので、これ以上悪化させないでおこうと思った。最後にこの病的合理主義の一例を挙げておきます。
 「彼はもはや文節の中の単語の順序でもなく、単語の中の綴字でもなく、文節の中の文の順序でもなく、文の中の単語の順序かつ単語の中の綴字の順序でもなく、文の中の単語の順序かつ文節の中の文の順序でもなく、単語の中の綴字の順序かつ文の中の単語の順序かつ文節の中の文の順序でもなく、いやまったくの話、ひとつの短い文節の間でも、ある時は単語の中の綴字の順序を、ある時は(以下略)」
 これ以外にも5人の男が互いに目線を合わせない可能性について30ページにわたって列挙した部分もあります。こんな本ばっかり読んでるから、頭がおかしくなってくるのかなあ。かなり精神的な負担の大きい作品です。ここまでくると『フィネガンズ・ウェイク』に並ぶ文学の極北ですな。

『カリタ教授の奇妙なユートピア探検』 スティーブン・ルークス NHK出版
 主人公で大学教授のニコラス・カリタは啓蒙思想の専門家。彼の住む国「ミリタリア」はその名前からも分かるように軍事独裁政権であり、教授の思想を危険視し逮捕・投獄してしまう。だがゲリラ組織「ヴィジブル・ハンド」が囚われた教授を助ける。ヴィジブル・ハンドは脱獄を助ける代わりに軍事独裁に変わる「能う限りの最善の世界」を探す旅に出るよう、教授に求める。教授はそれを引き受け、最善の世界を求める旅に出る。そんな教授が巡るのは功利主義の追求を国是とする「ユーティリタリア」、多文化相対主義国家「コミュニタリア」、自由主義競争国家「リバータリア」。
 世の中の全てを点数化し、最大多数の最大幸福を追求するユーティリタリアの人たちはいつも微笑みを絶やさない。どんな宗教・民族もそれぞれのコミュニティを作り、お互いの文化に敬意を払うコミュニタリアの人々。国家機関を全て民営化、自由競争の活発なリバータリア。読んでみると分かるが、一見全てが理想的に見えるこれらの国々は恐ろしいことにどの国も最悪の国家である。ではどうして「最善の世界」になり得ないのか? そもそも「最善の世界」はあるのか?
 で、この本のテーマになってるのは(表立っては言われないけど)「ポストモダン」。啓蒙思想が単なる物語にすぎないと宣告された現代で、啓蒙思想に変わる思想は現れるのか、というのがひとつの主題になっている。作者とカリタ教授がどういう結論を出すのかについては黙っておきます。(ちなみに、純粋な小説として見てみるとテーマの面白さの割には盛り上がりや面白みには欠けます)。
 実は上の4つの国以外にプロレタリア革命の成功した国「プロレタリア」というのがあって、これがすごく理想的に描かれてるんだけど、結局この国は教授が電車の中で見た夢の話だったというのはなんとも皮肉ですな。

『驚愕の曠野』 筒井康隆 河出書房新社
 短編。物語は「おねえさん」が子どもたちに本を読み聞かせるという体裁で始まる。おねえさんが読み聞かせる物語は仏教に出てくる地獄のような世界の話で、登場人物はただ自分ひとり生き延びるために他人を利用するような、そんな殺伐とした世界に生きている。さらに巨大な蚊やネズシという化け物も登場し、ただ生きるためだけに生きるようなそんな物語が続く。
 このようにして物語内物語が進むと思いきや、語り手のおねえさんが途中で死亡。代わりに子どもの一人が読み始めるのだが、その物語の中に、女の骨と朽ち果てた書物が現れ、物語内物語という形態は「互いに相手を描く2本の腕」みたいなエッシャーの騙し絵的構造になっていることが分かる。登場人物も一度死んでも輪廻転生して再びこの世界に生まれるし、この本のテーマは「円環」かな、と。

『虚航船団』 筒井康隆 新潮文庫
 コンパスや三角定規や墨汁が乗り込んだ船団が、鼬族の惑星クォールに侵略するという長編SF小説。全3部構成になってて、第一部が船団の文房具隊員たちの関係を描いた「文房具」。第二部は船団が侵攻する惑星クォールの現在に至るまでの興亡の歴史を詳細に記録した「鼬族十種」。そして第三部が文房具船団による核弾頭投下、オオカマキリ部隊の投入に始まるクォールの黙示録的世界「神話」。最後のあたりでは、物語世界に筒井康隆の意識が直接入り込んで自動筆記みたいな状態になっている。
 文房具が人格を持っていたり、まったくゼロの状態からクォールの偽史を作り上げたり、マジメな読み手なら「こんなくだらないことに労力を費やすなんて馬鹿馬鹿しい」と思うに違いない。だが、何の立脚点もない状態からここまで確固としたひとつの世界を作り上げたこの力量は素直に感嘆すべきだと思う。
 あと、今回発見したのは、登場人物(というか登場文具)の数が何十人といるのに、すんなりと人物の個性を思い出せてしまうこと。これと同じ数だけ人間が出てきたら、きっと混乱してしまうのに、文具だと簡単に覚えられてしまうのは不思議な経験だった。

 ちなみに細かい所を指摘しておくと、第一部の「文房具」は分かりやすいほどに『キャッチ=22』のパロディ。第二部の教科書みたいな歴史記述も福田恒存『私の英国史』のパロディみたいになっている。第二部に出てきた「国王暗殺の証拠が見えないようにするために焼けた鉄棒を尻に差し込んで殺した」というのは本当にあった話(『私の英国史』に書いてある)。鼬族のマルクス「カール・ミンクス」が芸人をしていたという経歴を持っているのは、アメリカのコメディアン・マルクス兄弟とかけてある。
 元ネタを知ってたら面白いけど、知らなかったら普通に読むことしかできないんだろうな、と思うと、この作品、まだまだ僕の知らない小ネタがいっぱいあるんだろうと思う。第一部と第三部後半は面白かったけど、第二部の教科書的記述は読んでてつらかったので、B+。

――まんが――

『青い車』 よしもとよしとも イースト・プレス
 これも以前からジャケ的に気になってた1冊。画風にかなり惹かれてたんですが、「20世紀最後の青春マンガ」(江口寿史)とか「ひょろひょろと力弱く、毒があって、格好よくて見事」(松本大洋)というオビがどうも買おうというモチベーションを阻んでました。しばらく存在を忘れてたんですが、この前VVで平積みされていて、「VVが平積むなら」と、結局今日京都の旭屋で買いました。
 この『青い車』は表題作を含めて7本収録の短編集。オビにあったように、やはり「青春マンガ」ではありますが、全然熱くも甘くもない青春マンガ。どの作品も男女関係が哀しいのです。シンプルな画風のせいもあるかも知れないけど、なんと言うか、読み終わったあとに水色なイメージが残る、そんなマンガでした。面白くなくなるのであまり内容に踏み込めないけど、「パステルカラーの霞んだ青春」。まあ、そんな感じ。
 学生時代、汗だくになってスポーツをバリバリこなしたり、コンパに行って酒を浴びるように飲んだりするような人には絶対に理解できないであろう低血圧な青春。そういう意味でこのマンガは読者を選別するようなところがあります。そしておそらく24歳あたりになると、このストーリーの切なさには共感できなくなります(本人も言ってますが、もうわるお君には無理でしょう)。要するに、17〜24歳までの非・体育会系、世に醒めてる割にどこかで理想を追い求めてるような青少年あたりは読んでみてもいいのではないでしょうか。いや、実年齢問わず"精神年齢"17〜24歳でもOKです。全体としては★にして3〜4つくらいですかな(僕自身はこんな青春時代を送らなかったから)。

『妖幻の血』(4) 赤美潤一郎 スクウェア・エニックス
 2日遅れで買ってきました。僕好みの昭和初期風表紙に惹かれてジャケ買いした妖しげなまんが。その後、偶然というか必然というか、作者・赤美潤一郎の好きなアーティストが小島麻由美とEGO-WRAPPIN'だったことがわかり、僕と趣味がかぶってるのが印象深いです。
 で、今日本屋に買いに行ってびっくりしたのはジャケ(右)。いくらなんでもこれはやりすぎなんじゃないでしょうか。ここまでくると妖しいを通り越して「怖い」(こっちに拡大図)。ホラー漫画と間違えて買う人が出てきたり、手に取ることをためらう人が出てきて売れなくなるんじゃないかと心配になります。
 前回の感想では「後の巻ほど妖しさが薄れてきてて残念」と書いたんですが、4巻のストーリーはまた妖しさを取り戻しつつあって結構よかったです。画風も最初の頃以上に僕好みになってきました。あとは当時の風俗ですな。せっかく昭和初期を舞台にしてるのに、自宅とか室内が物語の中心になってるのです。こういうのがもったいないな、と。
 あと、カバーをはずしたところにある4コママンガや外伝のようなコメディタッチの部分はなぜだか僕には全然楽しめません。つまらないわけじゃなくて、大前提としてある笑いの世界が違うというか。
 話は外れますが、この漫画、以前は月刊「ガンガン」で連載されてたのですよ。今は季刊誌「パワード」に移ってますが、昔のガンガンならこの『妖幻の血』も普通に連載できてたはずなのです(『夢幻街』という前例もあるし)。今のガンガンではこういう妖しげな漫画を左遷してしまうところが、ちょっと問題あるように思ったりもします(『守護月天』以降で読者の質が変わったということも大きいのだけど)。


★今月の一冊★
★活字
 うーん、今月はなし。『虚航船団』は大作だけど、やや冗長の嫌いもあるので。筒井康隆好きなら読んで損はないでしょうが、それ以外の人にはちょっとつらいかもしれません。

★まんが
 『青い車』はおしゃれな大学生なんかが読むと楽しめると思います。高校生にはちょっと早いし、かといって社会人になってからこれを読んでもあまり楽しめないんじゃないだろうか。で、おしゃれじゃない僕の「今月の一冊」は『妖幻の血』。以前より妖しさが際立ってきててよいです。「実家をつぶしてやりたいほど好き」とかそういう表現も好きです。

←2003年11月分  ▲TOP  2004年1月分→