| 『封建主義者かく語りき』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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当サイトのさまざまな場所で言及している呉智英だが、よく考えてみると彼の本は、ここで書評を書く前に大体読みつくしていて、実はその著作の大半を紹介できていないことに(今頃)気が付いた。そこで、この下半期は5年ぶりくらいに呉智英の著作を再読し、適宜紹介していきたい。と、言うわけで、まずは単行本第一作『封建主義者かく語りき』。原題の候補として本人が『封建主義宣言』を挙げていたことからも分かるように、封建主義者として目覚めた呉智英による民主主義批判の書である。 僕は一度読んだ本はほとんど読み返さないのだが、やはりたまにはこうして読み返すことも必要だと思った。初めて読んだ5年前、本にうぶだった僕はこの「封建主義者宣言」をマジメに受け取っていたのだ。だが、今こうして読み返してみると、本書は「封建主義を推す」というよりは、「封建主義者」というピエロに徹しながら、民主主義の孕む危険性を訴え、イデオロギー批判をし、相対化するところこそがその主眼なのだということに気が付いた。よく考えたら、タイトル自体あのツァラトゥストラのパロディである。ツァラトゥストラと呉智英を重ね合わせれば本書の意図も理解できよう。 この数年、いろいろな本を読んできたからか、呉智英の民主主義批判が(その筆の切れ味は別として)、意外にも凡庸なように思えたのだが、よくよく考えてみると、本書は1981年、今から20年以上も前の本である。東欧諸国やソ連のような社会主義国の崩壊もまだなかった1981年、この本は当時の風潮であった「保守反動」の中に含められたのかもしれない。しかし、これは保守VS革新の根底にある民主主義自体に対する懐疑の書なのだ。本書の主張は冷戦後の今日のほうが受け入れられやすいだろうし、そういう意味では呉智英の先見性がよく表れていると思う。 少し苦言を呈すならば、論全体として勢いと挑発性は十分だが、文章の結部がやや弱いように思う。これも再読した今だから分かったことだ。 | |||
| 『知の収穫』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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呉智英強化月間ということで、2冊目は『知の収穫』。月刊誌「テレビコスモス」で1987年〜1992年まで連載されていた書評をまとめたもの+漫画評。書評の書評を書くのはばかげているので、特にこの本については書くことがないのだが、選ぶ本の幅広さはさすがだと思った。呉智英思想の柱にある『論語』『フランス革命』『民俗学』に関連するものは、さすがに一般向けでないものが多いが、それ以外の分野で星3つ(満点)がついているものは、実際に読んでみると確かにおもしろい。 基本的にまともな本が多い中、異色だったのは『Mr.マリック 超魔術の嘘』(ゆうむはじめ)。タイトルどおり、マリックさんの超魔術のネタばらしをした本なのだが、ばらす目的がすごい。世界には本物の超能力者が実在する。そしてマリックのような偽物に超能力者を名乗らせることの裏には、超能力者の実在をを隠蔽したいアメリカ国防総省がおり、マリックさんはこの国防総省の刺客なのだと言う。ということはマギー審司も・・・などと妄想したりするが、ま、こういうのがいわゆる「トンデモ本」というやつですな。当然のことながら星1つだが、僕なら別の意味で3つにするかも。 | |||
| 『世界の食用昆虫』 | 三橋淳 | 古今書院 |
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「作物食物文化選書」の一冊。他の本は「稲と稲作のふるさと」「マメと人間」と極めて真っ当なのに、この一冊だけどうかしている。そして虫嫌いのくせしてこんな本を手に取りたがる僕もどうかしている。著者は虫マニアではなく、昆虫の細胞培養が専門らしく、昆虫の細胞を生活に利用する研究をしているらしい。 虫を食べることについて、我々は米の中の虫などを気付かぬうちに食べていることもままあるから、この際偏見を捨てて、いっそちゃんと食物として食べてみてはどうか、という有無を言わせぬ導入部の押し切り方がすごい。 とは言え、「虫を食べる」という未知の世界について、いろいろな事実が載っており、意外にも勉強になった。例えば、旧約聖書の中でエホバがモーセに「昆虫一般は汚らわしいが、イナゴ・バッタは食べてもよい」と言ったこと。アリストテレスはセミは美味だと語り、それを読んだファーブルが家族と一緒に試食してみたところ「味はエビに似て、バッタの串焼きにも似ているが(←ということは、すでにバッタは試食済みということですか)、おいしくない」と結論付けたこと。蚊の目玉だけを食べる料理があって、どうやって目玉だけを集めるかと言うと、それは蚊を食べるコウモリを捕まえたあと、胃を裂いて未消化のまま残る目玉を取り出すということ。 また、『ペンギンの世界』にも似て、常識に照らして自分の言っていることが奇言だと気付いていないのもおもしろい。 「田で米を取らずに、イナゴを増やして動物タンパク質の収量を上げるという考えはいかがであろうか」 「もしゴキブリをニワトリ位の大きさにすることができれば、ブロイラーとして十分役立てることができよう」 他にも、虫の味を改善するために、虫の餌にスパイスを混ぜて育てて、虫自体に味付けする(「カレー味のコガネムシ」ほか)案など、笑いながら読ませていただきました。でも、たとえ鶏肉に匹敵する良質タンパク質を含んでいようと、やはりゴキブリ肉(脚の部分がいいらしい)は食べたくないな。 | |||
| 『日本語相談』(一) | 大野晋ほか | 朝日新聞社 |
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「週刊朝日」で1986年から長期連載されたコーナーの単行本第1巻。日本語に関する読者からの質問に、大野晋、丸谷才一、大岡信、井上ひさしの4人が持ち回りで答えていく。言葉遣い、漢字、語源、敬語、文法、発音、方言など、日本語に関して読者が寄せる疑問・質問に、回答者の4人が自分の見解を交えながら答えていく。 本巻では、約50の質問が寄せられているが、総じてその回答が興味深かったのは大野晋。さすがに岩波の古語辞典の編集に携わっていただけあって、言葉の語源に関する大野の回答はおもしろかった。 勉強になることは大変多かったのだけど、「見れる」、「起きれる」などのいわゆる「ら抜き言葉」がすでに大正時代に問題になっていたとはおどろき。受身・可能・尊敬・自発の4つの意味を持つ、れる・られるがその分担を付けやすくするために、使い分けし始めているのではないか(つまり、「れる」が可能、「られる」が尊敬)、という指摘は単なる言葉の乱れとしてのら抜き言葉以外の視点を得ることができてよかった。 あと、「シッチャカメッチャカという言葉を作ったのは大橋巨泉」(井上による)と、「黄色い声以外に色を冠した声は白い声」(丸谷)は、まあトリビア的ではあるけど、単純に勉強になった。 | |||
| 『日本語相談』(二) | 大野晋ほか | 朝日新聞社 |
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「週刊朝日」連載コーナーの続刊。「古代の日本人と私たちは会話できるのか」「なぜ嘘は赤い色をしているのか」「『嘘をつくな』なのにどうして『嘘をつけ』と言うのか」など、前から気になっていた疑問の答えも出ていて今回も勉強になった。 あと、おどろいたのは海外の日本語習得熱を受けて、国立国語研究所が提案した「簡約日本語」。日本語の語彙を1000語に制限することで、誰にでも使える日本語を目指したらしいが、「あきらめる」という言葉を「やめませんとなりません」に置き換えねばならぬなど、背筋が寒くなるようなギャグでしかない。国語研究所が試案として出した簡約日本語版「北風と太陽」がおもしろかったので一部掲載。 「まず北の風が強く吹き始めました。しかし北の風が強く吹きますと吹きますほど、旅行をします人は、上に着ますものを強く体につけました。とうとう北の風は彼から上に着ますものを脱ぎさせますことをやめませんとなりませんでした。」 結局、この案はやめませんとなりませんでしたとさ。 | |||
| 『日本語相談』(三) | 大野晋ほか | 朝日新聞社 |
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「週刊朝日」連載コーナー第3巻。前2巻と比べると今回は個人的に少し弱かったように思う。おもしろかったのは「『虫が知らせる』の『虫』とは」「『1に○○、2に××、3、4がなくて5に△△』というのはなぜ?」「敗北の『北』の意味は?」あたりかな。 ちなみに、調べてみたところ、現在この『日本語相談』は4人の回答者別に分けて『大野晋の日本語相談』『丸谷才一の日本語相談』などのかたちで、朝日学芸文庫に収録されているようだ。全体的には大野晋の回答におもしろいものが多かったので、本書を未見の人は『大野晋の日本語相談』だけ読んでみてもいいかもしれない。 | |||
| 『賢者の誘惑』 | 呉智英 | 双葉社 |
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呉智英の本に興味を持った人に「どれから読めばいいか」と聞かれたら、相手にもよるが、この本を薦めることが多い。もっとマジメな人には『バカにつける薬』や『危険な思想家』を薦めたほうがよかろうが、とりあえず呉智英入門としてはこの本が一番よいと思っている。その理由は(1)ほとんどの文章がインタビュー形式の口語体で書かれていて、読みやすい、(2)呉智英の「毒」の部分がよく出ているから。この本を受け付けない人はおそらく呉のどの本を読んでも少なからず違和感を覚え続けるだろうし、逆にこれをおもしろいと思った人は他のどの本を読んでも楽しめる、そんなリトマス試験紙のような本である。僕自身、本書がきっかけになって呉智英の著作に親しむことになった。 さて、僕にとって思い入れの深いこの本は今回再読どころか再再再再読くらいである。とにもかくにもおもしろい。どこがおもしろいかというと、奇人芦原教授と呉智英との対談「佯狂賢人経綸問答」(「佯狂」というのは偽りの狂人、つまり本書の表現を借りれば「ガイキチのふり」をしている人のこと)。この「佯狂〜」とそれに続く「自己との対話」は必読。中でも特に、「自己との〜」に出てくる「あらゆる恋愛は強姦である」論、そして「憲法15条第4項が示す民主主義の無責任さ」は他の著作でもしばしば言及される自家薬籠中の持論なのでぜひ目を通していただきたいところ。 | |||
| 『大衆食堂の人々』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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エッセイ集。初出誌が「スコラ」などもともと軽い雑誌なので、エッセイの内容も軽い。呉智英の著作としてはいまいちだと思うのだが、他の著作と比べると、「男性レズビアン妄想症」だとか「メガネをかけた女が好きだ」とか自分の趣味やエロな話が珍しく多いのと、同じく珍しい自作の小説が載っているのが特徴だろうか。読むのは楽だし笑えるところもあるのだけど、笑いの「先」がないので内容が薄く感じられた。まあ勉強になったのは「封建主義者の漢字講座」くらいかな。これはおもしろかった。 | |||
| 『バカにつける薬』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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氏の著作の中で最も売れた(10万部)、「闘う思想家・呉智英」が最もよく表れた好著。各界著名人の一言を取り上げ攻撃した「折々のバカ」、上野昴志・岡庭昇という呉智英名づけるところの「珍左翼」との論戦、ゴルゴ13「汚れた金」の解釈を巡る読者との論争を収めた「バカを撃つ」など批評家ではなく、論客としての呉智英を見ることができる。特に見どころは、論敵上野昴志・岡庭昇を叩いた「馬を撃つ」。この二人の文章の品性のなさ、論旨の破綻がとてつもなく見苦しい。呉智英はいい遊び相手を見つけたものだと思う。しかしこの論争は、「珍左翼」の奇矯な言説批判であると同時に、今では「軽チャー」などと揶揄される80年代・相対主義的言説批判でもあると言えるのではないだろうか。岡庭が、呉智英の文章に対する反論とも言えぬ反論の中に「マジメすぎるよ、呉智英サン」などという言葉を入れているが、このように正論を冷やかすところに時代を感じるのだ。 ちなみに表紙の絵はブリューゲルの『盲人が盲人を導けば溝に落ちる』。いろんな意味で呉智英の思想を縮約したような絵画ですな。 | |||
| 『サルの正義』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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評論集。呉智英による時評のなかでは、本書と後に紹介する(予定の)『危険な思想家』が硬派な部類にあたり、それだけ読みごたえもある。本書は1993年刊行の同題の文庫化。「死刑廃止論&敵討ち復活論」「学歴社会批判批判」「民主主義・人権思想批判」「仏教批判」など、現代の社会通念をことごとく覆していくさまは痛快。そして、特に注目は支那に関する二篇「支那は断固として「支那」である」と「誰が「支那」を圧殺したのか」。この「支那」という言葉については、この二篇にくわえて碩学高島俊男の「支那は悪いことばだろうか」(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)を読めば、この言葉に対する偏見が神話に過ぎないことが明らかになるだろう。 あと、おもしろかったのは天皇を巡る二篇。愛知県の「熊沢天皇」こと熊沢寛道(1889〜1966)の話と、昭和天皇の危篤に際して、近代医学の聖性が天皇の聖性を凌駕したという考察。 着目点の意外性と論旨の明快さはさすが呉智英だと思う。この本もお薦め。 | |||
| 『危険な思想家』 | 呉智英 | 双葉文庫 |
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1998年メディアワークス(!)から出た同題単行本の文庫化。題にもある通り「危険な」内容だったため、出版元がなかなか決まらなかったらしい。どこが危険だったのかは後に詳述するが、オウム事件、阪神大震災、戦後50年と思想的に重要な出来事が重なって出来した1995年を中心に論じた評論集。僕がミニ四駆に興じていた時代を論じた『バカにつける薬』などと比べると時代が近い分、内容がいっそう身近に感じられる。『読書家の新技術』の頃から呉智英が唱え続けていた、宗教が本来もつ反社会性がまざまざと現れたオウム事件を論じた評論は、この問題を巡る知識人、宗教者の言説の欺瞞を暴いていて、今読んでも十分な説得力がある。 そして、先に書いたように、この本が「危険」として、出版元が決まらなかった原因は、おそらく「最強の被差別者は誰だ」の項。反戦・反差別のアイドル、『橋のない川』で有名な住井すゑが戦時中「戦争はありがたい」「マニラも陥ちたね、いや愉快」「神国日本は開闢以来無敵」など、忠君愛国の随筆や小説を書いていたこと、しかも、この事実を指摘された住井すゑ本人が「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくらあっても足りませんよ」などと驚くべき釈明をしていたことを明らかにした、この部分が出版社の「配慮」と重なって出版を困難にしたのだと思う。 それにしても、このような事実が隠蔽されるのはなぜか。その原因には、自主規制云々という個別の事例以上に、人権思想・平等思想をややこしくしかねない事実は排除すべし、というイデオロギーの暴力性がある。 この「最強の〜」の項は、このあと、マスコミが黙殺してきた、部落解放運動に見られる朝鮮人差別の問題を取り上げて、さらにヘビーな論調になっていくのだが、最終的な結論「最強の被差別者は誰か」の答えには爆笑。かつて小林よしのりが同じ問題に対して「最強の被差別者は子供の黒人障害従軍慰安婦」と書いたことがあったが、これを上回って根源的な「これぞ呉智英!」という締めくくり方がすばらしい。危険な「思想家」(評論家ではなく)はかくあるべし。 | |||
| 『快楽主義の哲学』 | 澁澤龍彦 | 文春文庫 |
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「人生に目的はない」という前提から始まる、快楽追求の人生を説いた本。元々は1965年のカッパ・ブックス。「あの澁澤龍彦がカッパ・ブックスなどに・・・」という声も当時あったそうで、確かに「あなたも快楽主義者になれる」のような俗流コピーが出ていたりしているのは氏の作品の中でも異色。洋の東西を問わず広がる博識を駆使し、凡庸に埋没しない、一匹狼もいとわないダンディズムを説いた部分も、何だか時代を感じてしまう。じつの話、今となっては通用しにくい部分も多くてちょっとつまらないと思うところもあるのだが、「民主主義とは、少なくとも現在では政党(進歩・保守含め)が国民を支配するためのイデオロギー」、「情熱的な恋愛に身を任せることは自己の主体性、自己の自由を失うことを意味する」など、ひきつけられるフレーズがあるのは侮れない。 しかし、「人生に目的はない」という前提は僕の人生観と同じなのに、結論がほぼ真逆なのが僕にとってはおもしろかった。僕の場合、快楽(積極的・瞬間的な快楽の追及)ではなく、どちらかと言えば、この本では否定的ニュアンスで言及される「幸福(=苦痛の欠如)」をめざす「隠者の思想」なのです。一遍上人も『語録』の中で「明日までも生きて要事なく、すなわちとく死なんこそ本意なれ」と言っております。 | |||
| 『上京はしたけれど。』 | たかぎなおこ | メディアファクトリー |
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大阪のほうでは、ポップが立ってたりで結構売れているようなのだけど、他の地域(特に東京)はどうなのだろう。それはともかく、イラストレーターになるべく三重県から上京してきた著者・たかぎなおこによるイラストエッセイ。引越し〜金のない新生活〜都会に対するコンプレックスなど、上京した地方出身者が体験するであろういろいろな苦労をシンプルなイラストと共に綴る。この先東下りをすることなど、まずないであろう僕にとって、東京は未知の土地でしかないのだが、例えば「テレビで紹介している評判のラーメン屋が行ける範囲にある」など、リアルな体験談を読むと、やはり日本は東京を中心にしてまわっているのか、と苦々しく思ったりする。 個人的におもしろかったのは、仕事のない著者が短期アルバイトで行った寿司製造工場体験記。「巨大秘密寿司製造組織」と称される寿司工場の「巻き寿司製造部」では、ベルトコンベア沿いに、「ネギトロ係」「イカ係」「いくら係」など10人くらいが横一線にずらーっと並んで、次々と流れてくるシャリの上に、自分の担当の具材をのっけていくらしいのだが、このイラストがなんかほのぼのしていてかわいらしい。現実はもっと生々しくつらいのだろうけど、ベルトに乗って次々流れてくるシャリの上に練り梅チューブをひねり出していくのはちょっとおもしろそうだと思った。 | |||
| 『伊賀ずきん』(1)〜(2) | たなかのか | マッグガーデン | ![]() |
名前は「たな・かのか」と読むそうで。実は1月に『天外レトロジカル』3巻が発売された時に、『伊賀ずきん』1巻を見ていて日記でも紹介したことがある。その時ジャケ買いをしかけたが、「いや、さすがに・・・」という周りの声にあって思いとどまった・・・ものの、本屋で見かけるたびにジャケットが、チワワのごとくこっちにオーラを出し続けていて、後ろめたい思いを感じつついたのだが、この7月に2巻が発売。帯に書いてあった「『くのいち』を言う設定を全くドブに捨てた」という意味深な文句にも惹かれてついに「転んだ」。お許しください、パードレ。今は昔の世は戦国。伊賀の忍者の里で修行中の忍者見習い「伊賀ずきん」がなんかいろいろやるコメディ。伊賀ずきんは修行の途中で花畑に寄り道したり、乙女チックな和歌集を読んだり、鍵付き日記をつけたり、少女趣味全開なのだが、忍びを極めるためにはそのような情を押し殺さねばならず、そういう葛藤もあったりなかったり。 さて、個人的な感想。僕を引きとめようとしてくれた人たちへの言い訳ではないけれど、ジャケの雰囲気に反して、中身は金田一蓮十郎のテイストも感じられる、極めて真っ当なコメディまんがでしたぞ。「くのいち」どころか、時代設定ごとドブに捨てたようなまんが。「100円ライター」「コンビニ」のような言葉が飛び交うかと思ったら、未知との遭遇があったり、ルイス・フロイスや服部半蔵など歴史上の人物がものすごくぞんざいに描かれたり(でも一応「戦国時代」という設定は捨てきれないらしい)。 中でも笑ったのは、2巻・其ノ十一の「床下ひよこ」ネタ(日本ひよこ党推薦)。この一篇を読むだけでも2巻を買う価値がありました。『伊賀ずきん』全体として見ても飛びぬけてよくできた話で、僕も床下ひよこを育てたくなりました。 |
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| 『宇宙賃貸サルガッ荘』(4) | TAGRO | スクウェア・エニックス | ![]() |
画風と連載誌のために「隠れた名作」として日の目を見ぬまま埋没するのではないかと心配している、そしてどうやらその心配が現実のものとなりつつある『サルガッ荘』。先月の『マフィアとルアー』を含めて、個人的なTAGRO熱が高まっていたいいタイミングで4巻発売。「四畳半SF」と呼ばれるストーリーは6月に書いたので省略。6月の評では書かなかったが、3巻から登場した新キャラが物語を少し散漫にしているような感じがしたので、4巻の展開を心配していたのだが、その必要はなかった。4巻では再び物語のバランスを取り戻していたので安心した。 特に22話以降は、この「サルガッ荘」の世界が構造的に備えていながらも、今まで小出しにしていた「重さ」を一気に噴出させた重要な展開が多い。25話など、(この先何話まで続くか分からないが)『サルガッ荘』のクライマックスだったんじゃないか、とすら思う。まあしかし、この段階でクライマックス的なシーンを持ってきたことの裏を取れば、この先さらにこれを越える展開があるということだろう、と期待もしている。適切な例か分からないが、エヴァンゲリオンの庵野監督が、感情を出さない綾波をほほえませるという、本当なら物語後半にもって来るべきシーンを、最初の段階で使いつつも、それを超える展開をその後次々と見せたのに似ているかもしれない。いや、それともやはり、まもなくやってくる最終回への序章と捉えたほうが適切だろうか。 |
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| 『パン☆テラ』(2) | ゴツボ×リュウジ | 小学館 | ![]() |
予備校生の主人公ロクスケがロック伝説を作るため、バンド結成に奮闘するまんが・・・だったような気もするが(少なくとも第1巻の最初の3話くらいまでは)、いまやバンドどころか楽器のひとつも出てこなくなった、ある意味ではとてもゴツボ×リュウジらしいまんが第2巻。帯では「キムキムにいやん」こと木村祐一が「はよバンドせぇよ!」とつっこんでたりするが、もはやバンド漫画への軌道修正は永遠に困難と思われる。これは1巻の書評の時にも思ったことだが、この漫画は本当に内容を説明しにくい。何とか説明を試みようとしたが「沢蟹を飛び道具で投げつける女子高生」や「人を喰う巨大犬」や「ヒゲダンスのような濃い付け髭を付けた女」が出てきて、しばしば街が大破壊されたり、ウサギの着ぐるみを着た女の子が裡門頂肘(*りもんちょうちゅう・八極拳の技のひとつ)をするような支離滅裂さを理路整然と説明できるはずもなく。このごちゃごちゃ加減・スピード感・テンポはアニメ『フリクリ』のそれに似ているように思う。 ともかく言えるのは、この漫画には予定調和などなく、次から次に予測不可能なムチャクチャがやってくるということ。そして『ササメキ』でしばしば見られたようなゴツボ×リュウジのやり場のない破壊衝動が遺憾なく発揮されていて、心地よい。『パン☆テラ』にロック音楽は出てこないが、破壊衝動に満ちたこの漫画の存在自体がロックなのだ。 それにしても、フジロックやサマーソニックが話題になるこの夏に発売を合わせたのはやはり狙ってのことなのかしら。 |
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| ★今月の一冊★ |
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★活字 呉智英強化月刊ということで、呉智英で赤を付けたものはどれを読んでもOK。奇矯な言辞を弄しているようで、実は物事の核心を衝いているという、思想の持つ根源性・危険性を楽しみながら味わってもらえれば、と思います。『世界の食用昆虫』もおもしろかった。 ★まんが いまさらながら『蟲師』。画風的にも内容的にも、今までの僕の傾向から言って、もっと早く読んでおいてしかるべき作品でした。『サルガッ荘』はもはや言うまでもないでしょう。 『パン☆テラ』は読み手を選ぶ作品。『ササメケ』が好きな人でも、これは・・・と思う人が出てくるのではないかというくらい、デタラメなマンガですが、こういう破壊衝動が遺憾なく発揮されているところが、ゴツボ(兄)らしくて好きです。 あとは、『伊賀ずきん』2巻の「床下ひよこ」の回は、ひよこ党員必読。 |