インパク会場

山1号館

 穂高登山

               1983/10/16-17

 奥穂高岳の山肌は金色に輝いていた。
昭和58年10月16日、午後4時30分、私は涸沢岳の山頂にいた。
 
 涸沢岳、3103.1m、北アルプス穂高連峰の中にあり、奥穂と北穂にはさまれて、めだたぬ存在ではあるが、視界を遮るものは何もない。
 東には燕、大天井、常念、蝶、遠くに富士。
南に前穂、奥穂、ジャンダルムがそびえている。
西に目を転ずると笠ケ岳が夕陽をあび、雲海に見え隠れしている。
北を望めば、北穂、槍、はるかかなたに白馬も見える。
 一瞬山々を、そして雲海を真っ赤に染めると太陽は静かに沈んでいった。

涸沢岳山頂にて。はじめての穂高登山。あこがれの槍穂高との対面に大満足!

  授業を終わり外を見る。 雨。 せっかくザックをかついできたのに。
 あきらめきれずにダイヤルをまわす・・・0261-177・・・
 「松本、大町、木曽地方の天気。明日は朝のうち雨の残るところもありますが、曇り後時々晴れ、あさっては晴れ時々くもり・・・・・」 それだけ聞けば十分だ。さあ出発。

 11時20分、アルプス11号の人となり、ひたすら松本へ。 あいかわらず雨。
 16日4時22分、松本。松本電鉄に乗り換える。 激しさを増す雨の音。
 4時52分、新島々。どしゃ降りの中を上高地行きのバスに乗り換え。
 今回もまた雨の中を歩くことになりそう。

 釜トンネルを抜けるころ夜があけはじめる。雨はやんだらしい。やったぜ赤ちゃん!思わず叫ぶ。
 大正池(大正池は大正4年、焼岳の噴火によって梓川がせき止められてできた。朝霧のたなびく枯木立が幻想的)、帝国ホテルの前を通り、6時15分、上高地。

 初めての上高地。霧。しかし感激。
 
 6時30分、出発。樹林の中を行く。
 10分ほどで河童橋。芥川龍之介の河童で有名。

 河童橋をすぎると、もう歩いているのは自分一人。
 紅葉のはじまった静かな樹林の中を歩く。

 7時30分、徳本峠への分岐。バスが上高地に入るまでは皆この道を通ってきたのだ。
上高地を、そして日本アルプスを世界に紹介したウェストンも徳本峠からの穂高に感激したという。

  8時、徳沢。井上靖の「氷壁」にちなみ「氷壁の宿」という看板を出している。ここで朝食をとり、水を補給。とても冷たくおいしい。

 このころからようやく太陽が姿を見せはじめる。青空も見えてきた。やったぜ赤ちゃん!あっ、これさっきやったばかりか。待望の青空に足取りも軽やかに先をいそぐ。突然虹もあらわれた。明るい前途を象徴しているかのよう。

 9時8分、横尾。槍、穂の分岐。槍に行こうか穂高にするか、迷うところ。 

  再び雲に覆われ、小雨まで降りだした。そこで、今回は槍は見送り、梓川を渡って穂高に向かうことにする。

 雨。やっぱり雨か。でも降られるのは慣れているんだ!雨の中をひたすら歩く。
 突然青空。遠くに赤い屋根。涸沢はもうすぐだ。おりてきた人に聞くと、2〜3日前まではこの辺の紅葉も奇麗だったそうだが、昨日の風雨ですっかり葉が飛ばされてしまったとのこと。がっかり。でも、少し行くとまだ残っていた。流れに沿ってゆっくり登り続ける。

 12時30分、涸沢。岩だらけの場所、それが涸沢だった。夏にはテントでうまるが、今は僅か2張り。
ここには涸沢ヒュッテと涸沢小屋の2軒がある。今日はここでやめようか。でも、まだ時間は早い。体力もある。前穂は荒々しい姿を見せている。しかし、奥穂はガスの中。どうしようか。

 1時10分。登ることにする。登りはじめてまもなく雨。 

 食用ガエルの鳴き声。こんなところにカエルがいるのか?見ると、それが雷鳥だった。白と茶の斑模様。もっと奇麗な声だったらよかったんだけどね〜。

 砂利道を登りきるとザイテングラートの取り付き。ここからは手足をフルに使う。ガスで相変わらず視界はきかない。やがて霙まじり。岩のくぼみには氷。ともかく寒い。
 少しなだらかな所に出る。再び雷鳥。ピョコピョコ歩き回っている。

 次のワンピッチ登ったところでガスようやく切れ、青空。
  前穂、北穂姿をあらわす。北穂、夕日をあび、輝いている。
 
 光の中に、小屋を発見!
3時40分、穂高岳山荘。
宿泊の手続きをし、荷物を置いて涸沢岳に登ったのであった。

 明日は、奥穂から前穂、そして夕方には上高地だ。

 

穂高岳山荘前。このあと前穂からだけさわ経由で上高地へ。

1983/10/16-17 2000.9.10

  ★★★   ☆☆☆